母性的養育の剥奪と愛着・絆の研究(4)

心の臨床家のための精神医学ハンドブック

(4) 親の離婚・再婚における子どもの対象喪失

 母性的養育の剥奪の研究は、第二次世界大戦によって家族を失った不幸な子どもたちを対象として着手されたが、現代の平和社会における子どもたちの対象喪失の主役は、特に欧米では、親の離婚・再婚にともなって生じる対象喪失である。欧米のように、離婚・再婚率が高度の社会では、親の離婚・再婚に対する子どもの適応過程全体の中にどう位置づけるかが課題になっている。親の離婚にともない子どもは、(1)離婚に先立つ家族内葛藤の経験、(2)離婚そのものにより対象喪失と離婚をめぐる動乱の体験、(3)片親家庭になったことにともなう社会的、経済的、心理的変化の体験、(4)離婚後の各々の親との変化した親子関係の体験を経過すると言われている。
 さらに、離婚後の片親家族になった場合には、その片親および子どもたちは何らかの意味で深刻な対象喪失を経験しながら片親家庭を維持する。この場合の片親家族が母子家庭か、父子家庭か、死別家庭か、離婚家庭か、別居家庭かによって、その対象喪失の体験内容は異なるが、一般に死別の場合の方が子どもは残された親への気兼ねなく死んだ親を理想化し、同一化することができる。一方、理想化された親の像に支配されたり、強い罪悪感を抱くことがあると言われている。さらに、米国のように多くの親が次に再婚する場合には、子どもたちは新たな対象喪失を体験しなければならない。
 再婚家庭は一般に、家族全員が重大な対象喪失の体験者である。つまり、婚姻関係の解消、親子の別離、近隣からのサポートの喪失などを体験している。さらに、親が再婚するときに、親にとって最も喜ばしい再婚の時期に、子どもは最も強い対象喪失を味わう。子どもは別れた親を失うだけでなく、現にともに生活し、依存している親を再婚相手によって奪われる体験をもつからである。
 このような親の再婚を子どもにどのように告知するかしないか、子どもと再婚する親との間にどのような情緒関係や絆が形成されているかが、対象喪失を子どもが体験するときの重要なテーマになる。さらに、離婚・再婚家庭の子どもの対象喪失の中には、maternal deprivation の最近の研究にも示唆されるように、単なる対象としての親の喪失だけでなく、全体の生活の場、例えば家とか近隣の友人関係、学校とか、それらのものについての連続性がどの程度得られているか、失うかが、子どもたちがmourningを営む上でので重要な条件になる。
とりわけ親の離婚・再婚の全経過において祖父母の存在と役割の重要性が注目されている。なぜならば、祖父母は子どもたちにとって最も連続性の高い安定した拠り所になりうるからである。

母性的養育の剥奪と愛着・絆の研究(3)

心の臨床家のための精神医学ハンドブック

(3) 母性剥奪の変数とその要因に関する研究

 1970年代にmaternal deprivation の研究で大きな役割を果したのはラター (Rutter, M.)らの研究である。ラターら(1972, 1979)によると、maternal deprivation には、種々の異なる心理的メカニズムによる種々の異なった原因による現象が含まれている。

[1] 母親との分離
 母親からの分離ひいてはdeprivation とか対象喪失と言われている現象は、一元的な経験ではなく、たくさんの変数からなる多元的な経験である。この分離の変数には、分離の原因、分離期間中における養育のパターンや性質、乳幼児の年齢と成熟の程度、分離の前と後の家族関係の性質などが含まれる。そして、幼児の年齢や気質や過去の経験によって、分離の乳幼児にとっての意味は、それに対する反応も多様である。したがって、分離が有害なものとなる場合にも、その決定的な要因は分離が生じている個々の特殊状況にある。分離そのものは精神障害へのリスクの指標(indicator)とみなすことはできても、それ単独で直接原因とみなすことはできないという考えが一般化するに至った。
 例えば、ラターは、病院や乳児院に入った直後の幼児の示す急性反応障害(acute distress syndrome)の直接的原因は、分離そのものではなく、大人への愛着行動が妨げられたことである。ロバートソン(Robertson, J.) は、親からの分離後、家庭に預けられた幼児にはこの反応が観察されなかったことを報告している。また、親と離別した幼児が成長するにつれて、反社会的行動のような行動障害を呈することの直接的原因は、分離そのものではなく、分離に先立つ先立つ家庭不和や家庭葛藤などの病理にある場合もある。その一方、情性の欠如したパーソナリティ(affectionless psychopathy) のような人格障害は、親からの分離以前の、早期幼児期の、母親との情緒的な絆の形成(bonding) の失敗も関与している。また、親から分離して施設に入った幼児の知的発達遅滞(intellectual retardation) は入所後、十分な意味のある感覚的・知的体験が与えられなかったことにも起因しているという。

[2] maternal deprivation の変数をめぐって
 maternal deprivation の概念に含まれる複雑で多様な規定要因としての変数には、次のようなものが挙げられる。
■早期の感覚・認知刺激
 早期乳幼児期の母性的養育は、愛情のみならず、乳児の中枢神経系の発達を促すような感覚・認知刺激、母親の情緒応答性、抱いたり、揺すったりするというhandling、深部感覚的な様式による交流が乳児の集中力や意欲や言語認知能力の発達に重要である。
■発達段階と段階特異性および臨界期の問題
 分離体験と発達特異性について言えば、マーラー(Mahler, M.) の自閉段階と共生段階の比較的無反応な分離に比べ、生後1〜2歳の再接近期の分離は顕著な動揺を引き起こし、3歳以降の対象恒常性の確立した後の分離はより問題が少ないと考えられている。ひとたびdeprivation による悪影響が生じた場合の回復力、可逆性については、早期乳幼児期の重篤な認知能力と対人関係の障害は、従来考えられていたよりも可逆性が高い。その際も、障害の程度や期間と治療的試みを開始した時期と、治療の内容によって回復力は異なる。また、早期のdeprivation のその悪影響が、その後の発達体験の様相によって強化されるか、緩和されるかといった、発達の各段階における相互間の作用も重要な課題である。
 さらに、早期にdeprivationを次々と体験しながら、成人期に一見良好な適応を示している人物についても、その人物の人格のより深いレベルの心的機能についてはさらに解明が課題となっている。
■deprivation耐性の問題
 1980年代の中心的課題となった動向は、幼児の発達環境の何がポジティブな要因となり、何がネガティブな要因となるかを同時的に力動的にみていこうとする観点である。
 deprivation耐性の手がかりになるものとして、ストレッさーになる要因の複数の組み合わせ、環境が時間の経過とともにより改善されるか、より有害化するか、固定するか、乳児自身の性別、気質、遺伝的素因(例えば男児の方が生物学的にもかかわらず、心裡社会的ストレスに弱い可能性がある)、家族要因(傷害された家族の幼児が片方の親とのみ一貫してよい関係が保てた場合の予防効果など)、家庭外の要因(家族状況が悪くても、子どもに対して発達特進的なよい機能をもった保育施設、学校での生活など)などを総合的に研究することが課題になっている。
■maternal deprivation と世代間伝達
 maternal deprivation の長期的な悪影響について、1970年代以降における新しい一つの認識として、幼児期のdeprivation の悪影響は、特に母性行動について世代から世代へと伝達される可能性が指摘される(例えば母親自身が私生児であったり、親の離婚や別居を経験した場合には、そうでない母親よりも2倍の高率で私生児や婚外妊娠のケースが発生しているとか、あるいは幼児を虐待する親の大半が自ら幼児期に自分の親に暴力を加えられていること、幼児期に両親の葛藤的な関係のもとで育った人物ほど、自らの結婚においても挫折しやすいことなど)。幼児期のdeprivation が、このように世代間伝達の問題が新しい課題になっている。

親権者監護権者の変更(判例)

子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は、子の親族の請求によって親権者を他の一方に変更することができる(民819条6項)。
親権者の変更は義務の放棄を含むので、親権者の指定と異なり、父母間の単なる協議ではできず、必ず家庭裁判所の審判あるいは調停によらなければならない(家審9条1項乙類7号・17条)。
監護者についても、子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は監護者を変更することができる(民766条2項)。民法と家事審判法によれば、監護者の変更も親権者の変更と同様に、審判と調停による方法しか予定されていないようにも読めるが、監護者は戸籍の記載事項ではなく、また親権者の存在を前提とした監護権のみの問題であるので、父母の協議による変更も有効である。
変更が認められるには、先になされた指定の後の「事情の変更」を要する。

http://rikonjiken.web.fc2.com/sample28.html

(離婚又は認知の場合の親権者)
第八百十九条
6  子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は、子の親族の請求によって、親権者を他の一方に変更することができる。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html

東京高等裁判所平成24年1月12日決定(家庭裁判月報64巻8号60頁)
これに対し,抗告人は,本件決定後未成年者が前記1(6)のとおり診断され,面会交流を中止せざるを得ない事由があり,未成年者が面会交流を拒絶することは 当然であって,これを実施すれば未成年者の病状を悪化させることが考えられるのであるから,抗告人は,未成年者の心身を傷つけてまで面会交流を行う義務を負うもの ではない旨主張するようである。
しかし,債務名義である本件決定は,未成年者が,相手方とは会いたくない旨の意向を表明している事実を前提として,未成年者の年齢,発達段階,忠誠葛藤も見 られるその心情を慎重に検討した上,相手方との面会交流をしないことは,その家族内部の交流に伴う情報の交換を途絶えさせ,中長期的に見ても,未成年者の健全な成 長を図るという観点からも相当とはいえず,面会交流を制限しなければ,未成年者の福祉が害されるとはいえないことなどの理由から,抗告人に対し,このような意向を 表明している未成年者の心身の負担が過大とならない時間間隔と環境下で,本件決定の定める方法によって未成年者と相手方との面会交流を行うことを命じたものである。
そして,第1回ないし第3回の面会交流は抗告人が未成年者に付き添い面会交流中に言葉をかけるなどしており,本件決定の定めた方法によって実施されたものとは認め られない上,抗告人が付き添う方法を採ることで,本件決定が懸念した未成年者の忠誠葛藤をさらに進行させた可能性も否定できないものというべきである。
その上,前 記1(6)判示の診断書の記載も,診断の前提とされた面会交流の実施方法等の事実関係や診断の具体的根拠を明らかにするに足りる資料はないのである。以上判示の各 点を総合すると,前記1(6)判示の診断書の記載をもって,本件決定が定めたとおりの方法で実施した場合に未成年者に与える影響の内容,程度を具体的に立証するに 足りるものではなく,債務名義である本件決定が考慮していない新たな事情が発生したとまでは認めるに足りないし,また,未成年者の年齢,発達段階等を併せ考えれば, 抗告人が本件決定の上記判断を尊重して,親権者として未成年者を指導したとしても,その福祉を害することなく本件決定に表示された債務を履行することができないと までは認めるに足りないのであって,以上判示の点を総合すれば,抗告人の主張する上記の事情から直ちに本件決定に表示された債務が抗告人の意思で履行することがで きない債務であるとか,その履行の強制が許されないとまでは認められず,また,本件申立てが権利濫用に当たるとも認めるには足りず,他に本件申立てを却下すベき事 由を認めるに足りる資料はない。したがって,抗告人の主張は理由がない。
3 そして,債務の履行を確保するためには,債務者である抗告人に対し,原決定主文1項表示の債務を履行しないときは,抗告人が原決定の告知を受けた日以降不履 行1回について8万円を債権者である相手方に支払うべき旨を命じるのが相当であり,その理由は,原決定4頁7行目冒頭から同頁17行目末尾までに記載のとおりであ るので,これを引用する。
4 よって,原決定は相当であり,本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし,原決定主文1項の「毎月1回」とあるのは「毎月1回別紙記載の方法により」 の誤りであることが原決定の理由自体から明白であるから,原決定主文1項中「毎月1回」とあるのを「毎月1回別紙記載の方法により」と更正することとし,その旨を 明らかにすることとする。

http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/law2mense.html

静岡地裁浜松支部平成11年12月21日判決(判例時報1713-92)
以上のこと、特に右(二)(2)のことは、被告(母親)とその両親との結びつきが強固であることを意味し、被告が充 分に親離れしないままに未熟な人格として成長したことを示すのであって、別居後の被告の両親の態度等にもそれが見受けら れるのである(原告(父親)が被告の実家を訪れた際、被告の母に鍵をかけられたことなど前記一1(一六)や、被告の父から原告が、 「わしは娘がいなくなり寂しくてしょうがない。」と嘆いたり、「馬鹿野郎、お前なんかに挨拶なんかない。」とか、「帰れ ばいいんだろう、じゃあ帰れ。」と怒鳴られたりしていることにも窺われるのである)。
(2)さらに、別居後の調停等の席上、原告から一郎を遠ざけようとする被告の態度(前記一2(二)、(三)、(四))は、 社会人として成長した暁には人格として備わっていなくてはならない二つの特性、すなわち、人間の母性原理の他、父性原理 を一郎自身が学習すべき絶好の機会を被告自らが摘み取っている態度というべく、決して讃められた態度ではない。  子供は産まれたときから二親とは別個独立の人格を有し、その者固有の精神的世界を有し、固有の人生を歩むというべく、 決して、母親たる被告の所有物ではないのである。
(四)以上の他、被告の供述はいずれもにわかに措信し難いものがあるといわなければならない。
2 以上のとおり、被告が原告の許を離れて別居するに至ったのは、本件調停の経過や調停離婚成立の過程を併せ考慮すれば、 決して原告が自己本位でわがままであるからというのではなく、むしろ、被告の親離れしない幼稚な人格が、家庭というもの の本質を弁えず、子の監護養育にも深く考えることなく、自己のわがままでしたことであって、そのわがままな態度を原告に 責任転嫁しているものという他はなく、右被告の別居に至る経過が今回の面接交渉拒否の遠因となるとする被告の主張は到底 採るを得ない。
四 なお、学資保険の未払保険料金30万円の支払は、必ず被告の預金口座に振り込むことが条件であったと、被告は主張す るが、これとても《証拠略》によってもこれを認めるに足りず、そもそも被告が満期返戻金を受領する際に贈与税または一時 所得による所得税が課税されるとしても、せいぜい10パーセント内外の経済的負担を被告が一時的に負うにすぎないものと いうべく、到底父性原理の習得という重大な人間的価値と比較すれば、被告の右主張は採るに足りない言いがかりという他は ない。
第四、以上のとおりであるとすれば、被告が原告に対して一郎との面接交渉を拒否したことは、親権が停止されているとはい え、原告の親としての愛情に基く自然の権利を、子たる一郎の福祉に反する特段の事情もないのに、ことさらに妨害したとい うことかできるのであって、前項で検討した諸事情を考慮すれば、その妨害に至る経緯、期間、被告の態度などからして、原告 の精神的苦痛を慰謝するには金500万円が相当である。

http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/law2mense.html

大阪高等裁判所平成19年6月7日決定
しかしながら,本件調停の面接交渉に関する調停条項(第5項)を全体としてみれば,面接の頻度,時間,面接日,面接の方法につ いて具体的かつ明確に規定されており,給付条項として合意されたものであることは明らかである。
また,その給付内容は,幅のある ものであるが,原審判発令までの経緯(前記1(3))に照らせば,上記調停条項に従って,原審判主文のとおり間接強制を命じるの に問題はない。

http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/law2mense.html

岡山家庭裁判所津山支部平成20年9月18日決定
面接交渉が不履行の場合における間接強制金の支払額は,債務者の拒否的な姿勢のみを重視するのではなく,債務者の現在置かれている経済的状況や1回あたりの面接交渉が不履行の場合に債権者に生じると予測される交通費等の経済的損失などを中心に算定するのが相当であり,本件における諸事情を総合考慮すれば,不履行1回につき5万円の限度で定めるのが相当である。

http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/law2mense.html

「同盟を結んだ親」による片親疎外

同盟を結んだ親の性格や否定的な信念そして行動

 同盟を結んだ親側に見られる一連の行動が、子どもを他方の親から疎外していくプロセスに与える影響については、ワラスティンとケリー(1980)によってもつとに指摘されている。絶えず繰り返される同盟を結んだ親による他方の親に対する否定的な評価は、子どもの信頼と愛情を侵食していってしまう。こうした否定的評価は、時には他の親が危険だというほのめかしとしてなされることもある。同盟を結んだ親の行動の背後には、本人は意識していない場合もあるが、他方の親に対する深い不信感と虞があって、そこから子どもにとって他方の親は必要でないとの強い信念ができてしまう。そして他方の親を思い出させるような物はすべて処分してしまうことも稀ではない。子どもはこうした親の気持ちに非常に敏感であるので、他方の親のことを口にしなくなる。
 私の出会った小学1年生の女の子(第2章のケース4)も、家族画を描く時はいつも「母親と犬と自分」だけを描いていた。しかもその母親には王冠までかぶせるといった念の入れようであった。母親は、「あの子にとっての家族は私とあの子と犬だけです。父親のことは必要としていないようです。」と満面笑みで語ったが、その子は私とのプレイの中では、箱庭の世界に動物を使って、父親の背中に子どもを乗せて遊んだり、カンガルーの子どもが病気になり死にかかると、父親カンガルーが登場してその子を布団まで運び「父だから守る!」「父だから家族を守る!」と言いながら、じっとその子の上に覆い被さるシーンを演じたりと両親揃った家族への憧れや父親への憧れを強く表現した。
 同盟を結んだ親は、しばしば他方の親は子どもにとって暴力的であるとか、虐待的であるといった意味で危険であると信じていることが多い。また他方の親は子どもを愛していないとの信念をもっていることもある。したがって面会交流の取り決めをしても、直前になってさまざまな理由をつけてハガキ一枚で、キャンセルしてくるということが起きてくる。
 このように子どもを他方の親から完全に切り離し、疎外しようとする親は、実証的な研究においてもまた臨床的観察によっても、深刻な病理と怒りを抱えていると指摘されている。その病理とは、子どもとの境界の無さや、深刻な分離不安であったり、損なわれた現実検討能力であったち、子どもとの投影同一視であると言われている(Wallerstein & Kelly, 980; Johnston, 1993; Johnston & Roseby, 1997)。
(146-147頁)

「一方の親と同盟を結んだ関係」

 次に「一方の親と同盟を結んだ関係」であるが、他方の親との接触を完全に拒否したり、接触を断とうとはせず、接触を限ろうとするのが特徴である。また怒りや悲しみ、愛情、接触への抵抗といった両価感情を表現することが多いのも特徴である。こうした同盟は、結婚中の両親間の高葛藤の中で、いずれかの親に味方することを求められた結果であることが多く、また別居後に一層、強められることが多い。こうした同盟を結ぶ子どもは、白黒はっきりさせる潔癖な発達年齢である9〜12歳の子どもたちが多いと言われている(Wallerstein & Kelly, 1980)。この年齢の子どもたちは、離婚の責任はどちらにあるのか、またより傷つき、子どもの忠誠とサポートを必要としているのはどちらなのかといったことを道徳的に判断し、その結果として同盟関係が生じてくることが多い。したがってこうした同盟を結んでいる子どもは、道徳的な潔癖さと怒りを特徴とする。つまり自分たちの生活を壊したと思う親に対する激しい怒りである。しかし、こうした気持ちは一時的なものであり、信頼して話せる大人がいれば、他方の親に対しても愛情を抱いていること、また結婚中には心理的に近かったこと、また両親との接触を継続したいとの思いがあることを認めることが多い。したがって、こうした子どもの潔癖さと怒りの感情を、他方の親から引き離す方向に悪用したりすることは慎むべきである。さもないと、やがて物事を白黒で判断する発達年齢を過ぎてから、そのしっぺ返しが必ずやってくることを親は肝に銘じるべきである。最後に、同盟を結んだ子ども疎外された子どもを区別する大事な点は、同盟を結んだ子どもは、時にしぶしぶでとではあるが、他方の親を愛していること、ただ、今の時点では、その親と接触を持ちたくない気持ちであるといったことを認める点だ。さらに、これらの子どもたちは、疎外された子どもたちとは違って、拒絶した親に対してすさまじいまでの抗議をしたり、残虐な発言をしたりするということはない。
(142-143頁)


離婚と子ども―心理臨床家の視点から

離婚と子ども―心理臨床家の視点から

リチャード・ウォーシャック博士(Dr. Richard Warshak)のサイト

Dr. Richard Warshak’s groundbreaking research, trenchant challenges to gender stereotypes, and passionate advocacy for children have made him one the world’s most respected authorities on divorce, child custody, and the psychology of alienated children. As a White House consultant, and through his writing, speeches, legislative and courtroom testimony, videos, and workshops, Dr. Warshak has had a profound impact on the law and well-being of families where parents live apart from each other.

http://warshak.com/index.html

片親疎外の中ででっちあげられる虐待

■虐待のでっちあげ
 親と引き離れた子どもは、つまらない、たいてい馬鹿げた理由で親を拒絶します。しかし、ある割合の子どもが訴える理由は、くだらないとはとてもいえません。そうした子どもが訴える理由は、離婚問題にかかわる専門家に、監護権訴訟の「核兵器」として知られています。それは身体的虐待や性的虐待の申し立てです。
 そうした申し立てはきわめて強力で、ほとんどの場合、すべての通常の面会交流が、裁判所の指示で即刻禁止されます。子どもが本当に虐待の犠牲者であるとき、裁判所の指示は子どもをさらなる危害から守ります。しかし、子どもが虐待をでっちあげるように操られているとき、面会交流の即刻禁止は片親疎外を強化し、ときに親子関係を完全に断絶させるきっかけになってしまいます。
 子どもが虐待をでっちあげることなどない、と主張する人もいます。それは間違っています。でっちあげは確かに起きています。それは、単純な誤解から監護権を勝ち取るための悪意のある攻撃まで、さまざまな程度があります。
 パパが「大切な部分」を触ったと幼い女の子が言いました。母親はものすごく心配になり、面会交流の即刻禁止と、家庭裁判所の調査官による調査を求めました。調査の結果、その日女の子は幼稚園であるプログラムに参加していたことが明らかになりました。そのプログラムは、性的虐待から身を守ることを教える内容でした。講師の警告の言葉が子どもの心に残っていて、その夜子どもが父親とお風呂に入った後、母親にこの言葉を大げさに伝えたのです。このような誤解が明らかになった場合、申し立てた親も子どもが虐待されていなかったことに安堵し、速やかに面会交流の再開を了承すべきでしょう。この事例では、子どもは引き離されてませんでした。
 しかし、"離婚毒"によって親と引き離された子どもが虐待をでっちあげた場合、状況はまったく異なってきます。一般的に、そのような事例の子どもは、この章で述べる他の特徴も持っています。必ずというわけではありませんが、多くの場合、虐待の申し立ての詳細は次第に大げさになり、より深く信じ込まされていきます。調査によって、標的にされた親の無実が明らかになった後でさえ、子どもと偏愛されている親が、虐待の申し立てにしがみつく場合もあるのです。
 虐待をでっちあげていることがわかっている子どももいます。自分自身で、あるいは親の差し金で、嘘をつくことを決めたのです。ある子どもは、身体的虐待を申し立てるために、ちょっとした躾のげんこつを、誇張して言い触らしました。別の子どもは、身体的虐待や性的虐待をでっちあげるように親から言い渡され、最初こそ疑問を持っていたのですが、やがて自分が虐待の犠牲者であると信じるようになりました。言い換えると、そうした子どもは意識的に嘘をついているのではありません。彼らは偽の物語を信じているのです。

 ●でっちあげの発生
 アメリカ心裡学会が表彰して出版した有名な本があります。その本は、自分に悪いことが起きたという嘘の話によって、子どもが簡単に操られてしまうことを示しています。コーネル大学教授のスティーブン・セシ博士と同僚のマギー・ブルック博士は、『法廷の危険性』(未約)で、子どもを虚偽の申し立てに導く会話の種類を明らかにした研究を報告しています。
 ある研究では、ネズミ捕りに指が挟まって病院で取ってもらった、というような出来事があったかどうかを、子どもに何度も尋ねました。すると、定期的な10回目の質問時点で、半数以上の子どもが、作り話の出来事は実際にあったと語ったのです。それどころか、子どもが語る嘘の話は入念に脚色されており、専門家も出来事の虚実を見分けることができませんでした。さらに印象的なことは、研究者が子どもに、そんな出来事は実際にはなかったと告げた後でも、多くの子どもは、その出来事があったことを覚えていると言い続けたというのです。ABCニュースの記者ジョン・シュトーセル氏は、テレビ番組『20/20』でその研究に参加した子どもたちにインタビューしています。ある4歳の子どもは、ネズミ捕りの話は全部作り話で、そんな出来事はなかったと、すでに両親から伝えられていました。けれdも、シュトーセル氏が「ネズミ捕りに指が挟まったの?」と聞くと、両親が横にいたにもかかわらず、この子どもはその出来事を覚えていると答え、詳しく説明したのです。シュトーセル氏が子どもに、お父さんとお母さんはそんな出来事はなかったといってると伝えても、その子どもは「本当にあったんだよ。ぼく覚えてるもん!」と言い張りました。
 他の研究もあります。「サム・ストーン」という名前の訪問客が、幼稚園を訪れました。その訪問客は「こんにちは」と挨拶をして、2分間教室を歩き回り、そして「さようなら」と言って去っていきました。それだけです。彼は何も触りませんでした。続く10週間の間に、子どもたちはサム・ストーンの訪問について尋ねるインタビューを、4回受けました。4回目のインタビューの1ヶ月後に、別の大人が子どもにインタビューしました。そのとき、実際には起きていない二つの出来事について尋ねました。「サム・ストーンは本とテディベアに、何かしましたか?」
 その結果、事前にサム・ストーンの悪口を聞かせたり、あるいは誘導尋問したりすると、子どもがサム・ストーンの行動について嘘の報告をすることが見いだされました。たとえば、「サム・ストーンは鈍くさい」という悪口が、サム・ストーンの訪問前に子どもに伝えられました。

 昨晩誰が来たと思う?(間を置く)そう。サム・ストーンよ!彼は何をしたと思う?彼は私のバービー人形を借りて会談を下りていたとき、つまづいて階段から転げ落ちて、バービー人形の腕を壊したのよ。サム・ストーンはいつも事件を起して、何かが壊れるの!

 サム・ストーンが訪問した次の日、子どもは汚れたテディベアを見せられました。サムが訪問したときは教室になかったものです。そして、テディベアが汚れた理由を知っているかと尋ねられ、以下のような誘導尋問が行われました。「サム・ストーンが教室にやってきて、白いテディベアをチョコレートで汚したときのことを覚えている?彼はわざとやったのかしら?それとも偶然こぼしたのかした?」。
 この研究によると、最終回のインタビューの時点で、驚きべきことに72%の子どもが、サム・ストーンにねつ造された罪を負わせました。ネズミ捕りの研究と同じように、子どもたちは細かく脚色された作り話を語ったのです。たとえば、ある子どもは、チョコレート・アイスクリームを買うために店に入るサム・ストーンを見た、と報告しました。この研究でも、子どもたちは専門家をだましたのです。
 研究者たちは、子どもたちにインタビューしたビデオテープを、児童虐待の専門家たちに見せました。専門家たちは、どの出来事が作り話でどの出来事が実際に起きた事実であるかを見分けることに、自信満々でした。しかし、専門家たちは見分けることができませんでした。それどころか、専門家たちが最も正確な事実を報告していると判断した子どもが、最も不正確だったのです。サム・ストーンを、ママやパパと入れ替えてみてください。操られた子どもが、親について説得力のある作り話を語りうることが、おわかりいただけたでしょう。記憶研究の第一人者エリザベス・ロフタス博士は、「記憶を尋ねられたとき、生き生きとした詳しい状況が確信とともに語られたとしても、必ずしもその出来事が実際に起きたとは限らない」と述べています。
 虐待されたという作り話は、片親疎外による子どもの傷つきを、さらに深くしてしまいます。親から性的に虐待されたと信じている子どもは、実際に虐待されて苦しんでいる子どもと同じ問題を抱えます。子どもはまるで、実際に虐待されたかのように、自分の養育者を信じることができなくなってしまいます。それだけでなく、性に対する見方が児童期に傷つけられると、大人になってからセクシャリティの問題を抱えやすいと考えられています。親密な人間関係を信頼する力が弱まるからです。
(54〜57頁)

離婚毒―片親疎外という児童虐待

離婚毒―片親疎外という児童虐待

ようやく加盟

参院委、ハーグ条約案を可決=22日に本会議で承認
時事通信 5月21日(火)12時57分配信

 参院外交防衛委員会は21日午後、国際結婚が破綻した夫婦間の子どもの扱いを規定したハーグ条約の加盟承認案を全会一致で可決した。22日の参院本会議で可決、承認される。条約に加盟した場合の国内手続きを定めた条約実施法案も今国会で成立する運びだ。
 ハーグ条約は、一方の親が無断で16歳未満の子を国外に連れ去り、もう片方の親が返還を求めた場合、原則として子を元の国に戻すよう加盟国に求める内容。親権は元の国で争われる。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130521-00000072-jij-pol